恋愛

修利槃特になれない悲しさ

修利槃特(すりはんどく)とは、釈迦の弟子の名前です。
三年の修行の間に十四字の経文も暗誦することができなかったけど、愚直なまでに釈迦のいいつけを守ったので、仏に成ることができた--という人物です。

ホントに、えらい長文で、肩っ苦しい話を並べ連ねて、申し訳ないのですが…。

サービスのオンデマンド化が進むのと同じくらいか、それ以上のスピードで、昔だったら埋もれている情報に簡単にアクセスできるようになりました。
それによって全体の知識の底上げになったとは思うのですが、弊害も多くなったと思うんですね。

暗い事件の話題や、人の醜い部分までもが、簡単に知れ渡るようになりましたからね。
他人の育児の失敗や、恋愛の修羅場や、家庭崩壊の様子を、TVや週刊誌やネット等で知らされ、すぐさま自分の経験のようにインプットされてしまいますから。
情報が知れ渡ることによって過去の因習が取り払われ、例えば30歳を過ぎても結婚しない生き方を選ぶことも普通になったわけですが、世の中、成功と失敗しかないとしたら、圧倒的に失敗のほうが多く強く報道されるので、それに影響されて、決断がなかなかできなくなるという事が増えていると思うんですよ。

結局、技術が進歩した末に人間は、昔より臆病でワガママになってしまったのですね…。

結婚についても、よく既婚者から「やってみなくちゃわからないだろう?」と言われるんですが、「やってみてダメだったら、すぐ離婚していいのか?」とか「育児に失敗したら、どうすればいいんだ?」という質問を真顔ですると、必ず怒るんですよね。

そんな時、修利槃特のように「はい!」と言える人のほうが幸せになれるのかも知れませんが、今の私には、まだ無理だな…。

失敗談と同じくらいの数の成功談が、世間に多く強く報道されて、「そんなにビクビクしなくても大丈夫かなぁ」と思えるような、安心して結婚できるような世の中になってほしいと思うのですが、人任せみたいで、甘いですかね?

作り物のドラマでもなく、芸能人や有名人のような特別な人の話でもなく、身の回りに普通に存在している人の、「結婚してよかった!」という話や、「子育てっていいよ!」という話題が、普通に自然に漏れ聞えてくるような世の中にならないと、少子化は止められないと思うんだよなぁ…。

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いつの日か愛されなくなる事に対する不安

人間の、対象物(人)に与える心的エネルギーのレベルを段階分けすると、例えば仏が一切衆生を分け隔てなく愛するような、慈悲のレベルのようなものでもない限り、結局、比較相対的なものなんだと思い知らされてしまったわけなんですね。

比較相対的なものであるということは、変動するわけです。
すると、今、自分が愛着を感じているものに対して、いつか無関心になってしまうんじゃないか、という不安が出てきます。
…と同時に今、愛されている相手に対して、いつか捨てられるのではないか、という不安が出てくる訳ですね。

愛する妻に、いつか興味を失ってしまうであろう可能性の高さ!
愛されている自分が、いつか無関心になってしまう恐怖!
そして、いずれ別な人に向けられる心的リソース…。

…これがまだ、夫婦二人きりでいる間ならいいですよ。
離婚も昔に比べて簡単にできそうだし。

…でも、もしそこに子供がいたとしたらですね、これは大変です。
何の期待もなく、条件もなく、ただ与える愛が必要とされる子供がいた場合…。
お前は失敗した時に、いったいどう責任が取れるというのか!?
と、自問自答してしまう私がいるんですよ。

実際、私も不幸な子供時代を送ったので、虐待の連鎖ならぬ幼少期の不幸の連鎖を起こしてしまいそうで怖いんですね。

なんせ、いいなと思った子が2、3人いたときに、一番いいなと思った人よりも、一番可能性のある人にいくタイプらしいですから。
(↑結構、気にしている)

もし将来、見合いとか紹介とかで、結婚に向けて進みそうな女性が出てきた時、このブログの恋愛エントリを読ませて、「こんなワシですけど、ど~すか?」って聞いてみましょうかねぇ…。

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無関心<人情<愛玩<愛着<愛情<慈悲

先日の「親」に付きまとう、強烈なる不安を書いた後に、ちょっと考えが渦捲いていたので、それを整理してみると、タイトルに書いたような不等式に落ち着いた訳です。
人間の、対象物(人)に与える心的エネルギーのレベルを段階分けしてみたのです。

「愛情の反対は、憎悪ではなく、無関心である」という言葉はよく聞きます。
憎悪は相手に対する感情が動いているから、興味を持っているだけマシという事です。

…ということで、無関心を人間の心的リソース配分の最低状況とするとですね、
その次に、まあ有り体の人付き合いはしてもいいな、という段階がある訳ですね。
最悪、火事と葬式の時くらい力貸してやってもいいよ、と。村八分の状態ですな。

確か、まぐまぐの投稿だったと思うのですが、

夫「俺達、愛情ある仲じゃないの?」
妻「人情!」

…というような奴がありました。
なので、無関心よりリソースを割いている状態を、人情としておきます。
これがまあ、人間として生来持っているものなのでしょう。

それより上の状態を考えた時に、例えば、飼い主とペットの関係が浮かんだのです。
ここには、「彼は私がいないと生きていけないの」というような男女関係も含まれそうですな。だから、これを愛玩としておきます。やっと愛という文字が割り当てられる言葉になった訳です。

じゃあ、それより少し上の段階を考えてみたんですが…。
たとえば好きで付き合い始めた相手が、もう何年も経って、目尻にシワができ、おっぱいも垂れて、ウエストにだいぶお肉がついてきたとしましょう。
付き合い始めた時のテンションの高さなんか、もうとっくに失われているんだけれども、だからといって別れる事もできないような状態…。これは愛着ではないかと思うんです。
「こいつが最高とは言い切れない。でも、俺はやっぱりこいつなんだよな」というレベルは、愛情というより愛着という言葉のほうがシックリ来るような気がするんです。

「簡単に手に入るものに愛着はわかない」という内容を、誰かのコラムで読んだ気がします。これは、人ではなく物に対しての愛着として語られた文章だったと思うのですが、ちょっと元ソースが見つかりませんでした。
でもまあ、愛着がわくには時間的経過と、その途中での『獲得の為のある程度の手間(試練)』が必要なようですね。
そのような手間があったからこそ、手放すのが惜しくなるわけで、ようは、愛玩よりももっと対象物に執着している状態なわけです。

…で、いわゆる愛情とは、そのさらに上の段階にある状態だと思うんですよ。
残念ながら、ほとんどの人が愛情だと思っているものは、実は愛着でしかないと思うんですね。
『傷つくならばそれは愛ではない』という本とメルマガ
があるのですが、そこに、

愛は何も執着せず、すべてを与えることを望むもの
 愛には何の期待もなく、条件もありません。「もしあなたがあれを与えてくれたら、私はこれをあげましょう」というような取引きではないのです。

…という一文があるのですね。
辰巳渚氏が「親」について書いた文章の根底にある、本来「親」に要求される資質というのはこの愛情だと思うんですよ。

…で、「親」になるべき年頃の人間は、『本来の愛情には、何の期待もなく、条件もないものなんだ』ということを薄々わかってはいるのだけれど、「自分にはそんな愛情はない。だって、そこまで思ったことはないもの」と悩んでいるんじゃないかと思うんですね。

…というか、私はそこで悩んでしまいましてね。

…結局、子供を持つことで、自分の愛情の限界、というか人としての器の小ささと直面するのが、怖くてたまらなくなってしまったんですよ。結婚するような相手もいないうちからね…。

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「親」に付きまとう、強烈なる不安

このブログでも何度か紹介している、 辰巳渚の「ニュースのツボ」の最新エントリより。
もしかしたら、既婚・未婚を問わず、今の大人達の大半が感じている不安というのは、辰巳渚氏が今回記した以下の部分なのかもしれない。
以下は部分引用なので、できれば全文をサイトで読んで欲しい。

----------以下、引用-----------
子どもと友だちにはなれる、子どもに愛情は注げる、子どもを理解しようとはできる、子どもの将来は心配できる、子どもに対して物分りのよい親にはなれる、子どもの前で素直に怒ったり泣いたりできる親にもなれる。だが、親として深く立ち入るべき子どもの心の領域にまで踏み込めない。子どもが全面的に安心して力いっぱい体を預けきれるような、巌のように揺るぎない大人であり保護者である「親」には、なりきれない。
-----------ここまで-----------

絶妙なまでに、自分の心の中の言葉を代弁されたようで、ショックを受けた。

どうやら、国も親も周囲も、私に「親」になる事を望んでいるようだが、過去のブログにも書いたように、オンデマンドなサービスに慣れきった、デルコンピュータのPCのような自分には、「親」にクラスチェンジするような経験値もなく、変性する覚悟もないままなので、日増しに不安に苛まれてしまいそうです。

あなたは、どう思われましたか?

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ゆうきゆう氏と一緒…。(^_^;)

いつも読んでいるメールマガジンで、性格診断コーナーが紹介されていました。
ここです。

結果はサファイアタイプとなりました。
それによると、私は…。

自分は特別な存在だと思うタイプ。
束縛がキライで、お天気屋さん。
VIP待遇に弱いというところもある。
「変わってるね」という言葉が褒め言葉になる。

…う~む、当たっているな。(^O^)
そして、恋愛の傾向は…。

いいなと思った子が2、3人いたときに、一番いいなと思った人よりも、一番可能性のある人にいくのがこのタイプの特徴。

…うっき~!(走召 火暴)
過去に声かけた女性から、「あなた、アン牌狙いだったの!?」って突っ込まれそうです。け、決して、そんなつもりはないのですが…。
むしろ、常に高嶺の花狙いで玉砕していますし。(^^ゞ誰へのフォローだ。

ちなみに、セクシー心理学などで有名の、ゆうきゆう氏も同じサファイアタイプだそうです。ふぎゃん!(←意味不明)

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